輝いてもう泣かないで

 

2023年9月16日午前2時3分、私は眠れず起きていた。ツイートしようと思っていたのに忘れていた嵐結成24周年を、日付は変わってしまったけどお祝いした。Hey! Say! JUMPを好きになってジャニオタに出戻りしてから、再び嵐の曲を聴くことが増えた。その日も、やっぱり今日はこれだよね、と15周年のタイミングで発売した嵐のアルバム、THE DIGITALIANより「キミの夢を見ていた」を再生。智くんの相変わらず美しい歌声で始まるこの曲は、私の大のお気に入り曲。もしかしたら5×10や5×20より好きなのかもしれない。

 

「忘れないから 君の声は聞こえてるよ」、このフレーズを聴く度私はいつも泣いてしまうし、やっぱりこの日も寂しくなって、嵐のことが大好きで、夜な夜な1人で泣いていた。君の声は聞こえてるよ、私たちの声援が聞こえている、届いていると言われたようで嬉しくなった。

次の文はあまりにも大共感だったので人様のお言葉を引用させていただくが、『「伝えたいこと 言葉じゃなくて歌に託すよ」のパートは翔雅和の真ん中トリオだけど、知ってか知らでか誰よりも強い言霊の力を持つ相葉くんとマイク持ちペン持ち言の葉の力を以てオトノハを紡ぐ翔くんと作詞作曲を通じて歌に自身の言葉を乗せる機会の多いニノがこのフレーズを歌ってるっていうのが何とも説得力があっていい。』←わかる。あまりにも解釈一致の歌割りなので、私の記憶がないだけで私が歌割りを考えたのかもしれない。

この曲は基本智潤、翔雅和の別れ方をしていてBittersweetと同じ割れ方。嵐は5人というのもあって何パターンかお決まりの歌割りがあるけど、私はこの智潤、翔雅和の歌割りが特に好き。このことについては話が長くなるのでまた別の機会に話せたらいいな。

 

「世界のどこかで もしひとり震えてる夜に 強く抱きしめられたら」、そんな恋愛小説みたいなフレーズを歌われたらうっかり想像しちゃうでしょう。でもその通り、私は夜ひとり震えて泣いているのだ。この曲を聴きながら震えて泣いている。嵐が大好きだと、会いたいと、寂しいと震えて泣いている。でも同時に強く、それでいて優しく抱きしめられているのだ、この曲に。包み込まれているような感覚に陥る。続いて「未来は目の前 僕らを希望で染めてゆくよ 夜明けは近づいてる」、そんな震える夜も、嵐がいれば一瞬で過ぎ去り朝になるのだった。

 

1番サビは大サビと歌詞が同じなので後で話すことにする。

 

2番Aメロ「変わらないから ありのままを贈りたいよ」「大切なのは 偽りのない素直な気持ち」の部分、すご〜く嵐っぽい。にのあいや大宮など、メンバーによってはJr.からずっと一緒にいるのに「相葉さん、相葉くん」「大野さん、リーダー」などと苗字で呼び合う彼らはいつだって“ありのまま”を見せてくれていた。いつまで経っても下の名前で呼び合わず、敬語で話すこともあり、そこだけ見れば距離があるように感じるのに友達みたいな雰囲気を漂わせている5人はなんだか不思議だった。でも、その“5人だけの世界”が今も大好きだ。

翔雅和の「時代はどこまで 僕らを追いかけてくるだろう?」、少しニヤリとしながら挑戦的に歌ってるような気がしていて私の顔が緩む。でもライブ映像ではそんなニヤリとしながら歌っていないので私の勝手な妄想だった。

 

2番サビ「消えないよ  目を閉じたって たとえば君が笑うだけで 僕は僕でいられた いつだってここにいるよ 戻れない時間(とき)の儚さに 光をまた見つけた」まるでオタクに言い聞かせるような優しいフレーズに、再び零れる一粒の涙。「たとえば君が笑うだけで 僕は僕でいられた」こんなに胸が苦しくなるフレーズがこの世界にあるだろうか。ないだろう。納得いかない仕事も、心無い言葉を浴びた日も、私(オタク)が笑うだけで自分を見失わずに済んだ(僕は僕でいられた)というようなこのフレーズは、じんわりと私の心を温めた。そしてその温かさに再び涙を流すのだった。「戻れない時間(とき)の儚さに 光をまた見つけた」今聴くと、グッとくるものがある。活動休止までの期間、彼らは何を感じ、考え、過ごしたのだろう。今だからこそできること、今しかできないこと、今やらないといけないこと、必死に考え動く姿を私は想像したのだった。

 

更にCメロ「ありふれた日々 それだけで奇跡 一度きりだから 愛しくて」止まることなく走り続けて来た20年間は毎日が“ありふれた日々”でその尊さや儚さは5人が1番感じているのだろう。そしてそれが、“一度きりだから愛おしい”ことも。

 

 

お待たせしました、大サビです。

「輝いて もう泣かないで この素晴らしい世界でほら 君のことを見つけた いつだって  そばにいるよ  果てしない夜の片隅に 君の夢を見ていた I will be there ここから そっと想い続けているよ 今  この歌を君へ」

この「キミの夢を見ていた」という曲、私は嵐目線とファン目線が混合した曲だと思っている。そして、所謂“15周年イヤー曲”だとも。

特に大サビの部分がファン目線だと思っているし、15周年のタイミングでこの歌詞を歌われるとやはり泣いてしまう。私はこの世界で嵐を見つけた。嵐を見つけてからこの世界を素晴らしいと思うようになった。物理的にそばにいられないけど、心の中にはいつも嵐がいて、私の世界は嵐中心に回っていた。正直なことを言うと、私は夢に嵐が出てきたことは一度もない………多分。なので、「果てしない夜の片隅に 君の夢を見ていた」は私には当てはまらないのだけど、でも嵐に会えることを夢見ていた。この曲を聴く度に寂しくなって、嵐に会いたくなってどうしようもなかった。その寂しさを埋めるように他の曲を聴いたり、テレビを見たりした。結局私が嵐に会えたのは5×20ツアーだけだったのだが、それでも一目見れたことが嬉しかった。いつもテレビの中にいた嵐が、ニノが、目の前にいたのだ。私が入った日は既に結婚発表後で、少し嵐から離れていたのもありどんな気持ちで会えばいいのか分からなかったけど、会場に入ったら高揚感と胸の高鳴りで落ち着かなかったのを鮮明に覚えている。それでも時々、結婚してるんだよな…と思い俯いてしまう瞬間があったのが悔しい。

正直、今でもニノの結婚は納得していないし、受け入れることはできていない。でも、当時中学生だった私は今18歳になって、あの頃よりも大人になった。大人になった私は「受け止める」ことはできた。だから、次会うときは笑った顔で会いたい。「おめでとう」はまだ言えそうにないけど、それでも「あなたが大好きだ」と笑う私の顔を見て欲しい。

今の私はHey! Say! JUMPが大好きで、山田くんを応援してる。だけど、ニノのことも変わらず好き。中学生のときみたいな熱い熱量はないけれど、それでも好きな気持ちはあの頃と何一つ変わらない。少し気持ちが落ち着いただけだ。バカみたいに必死に追っていたあの眩しい日々は、私の一生の宝物で何にも代えがたい褪せない思い出。ねぇ、今なら自信を持って言えそうだよ。私、完全に二宮和也から降りる日来ないや!ニノを超える人はできてしまったけど、でも嵐を超えることはないと思う。それくらいまでに大きな存在になってたんだな…………またいつか5人に会えますように。それまでは、

 

ここからそっと 想い続けているよ